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高宗 (宋)

高宗(こうそう)は南宋の初代皇帝で、北宋の第8代皇帝であった徽宗の9男。実子に趙旉(元懿太子)がいたが嗣子が無いまま高宗より先に死去したため、その皇統は断絶することとなった。

北宋時代には康王に冊封され、1126年には大元帥に登用されている。
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翌1127年、金軍の侵攻により、父である徽宗と長兄の欽宗、そして愛妻の邢氏が金軍により北方に連れ去られる靖康の変が発生した際に南京(現在の商丘市)に逃れた。その地で哲宗の皇后で、皇帝の不興により皇后を廃立され尼となっていたため金に捕らえられずに無事であった孟氏を利用し、その指名を得て皇帝に即位した。これが南宋の起源である。しかしこの即位の手続きについては宮廷の一部からその正当性に疑問があるとされ、即位した地位は宮廷で確立したものではなかった。このため兄である欽宗を金側が送還させようと申し出て来た時も、高宗は皇帝地位が動揺すると考え欽宗の帰国は許可しなかったとされる。その一方正妻の憲節皇后に関しては積極的であったが、憲節皇后は五国城(現在の黒竜江省依蘭県)で病没し、高宗を落胆させた。正妻に関してはその後呉氏を皇后に立てた。

即位の正統性に不明瞭であった高宗の地位は安定せず、国内では即位反対派による反乱、国外では金の南下などの内憂外患の時代であった。そのため国内各地の移動が続き、1132年にようやく首都を臨安に定め南宋の統治体制を確立するに至った。

高宗は金軍の南下を恐れ、和平派の皇帝であった。1138年、和平派を代表する秦檜を宰相に任用し、同年には金と和睦条約を締結することになった。このため主戦派である岳飛と秦檜の対立を生み、1141年には岳飛は秦檜によって処刑されている。統治後半はは金と再度和睦条約を締結し外敵の侵入を防ぐ一方で、江南の開発が進められた。

1162年、皇太子である元懿太子が3歳で夭折し、高宗に嗣子が無かったため、族子である趙?を立太子、譲位して自ら太上皇(上皇)となった。その後20余年も余命を保ち81歳で崩御した。

高宗は能筆の人であり多くの書を遺している。そのうち「徽宗楷書文書序巻」は日本の文化庁が保有し国宝に指定されている。

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2009年05月31日 10:10に投稿されたエントリーのページです。

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